川島哲のキャストパーシャルの真実

第16回 キャストパーシャルの真実

Giorgetto Giugiaro ジョルジェット・ジゥジアーロ

のDesgin 論(インダストリアル・デザイン)に学ぶ

                      2017年4月号 第56巻

 ジゥジアーロと言えば、私が好きなNikonF3などは彼の作品でD800等の最近の一眼レフカメラも色濃くデザインが継承されている。

自動車に関しては、55年前から日本のメーカーのデザインを手掛けている。

いすゞ の117クーペがその代表格であるが、私的にはダイハツ・スパイダーが好きだ。

自動車雑誌に彼の興味深い記事が今回の話題である。

CGとはCAR GRAFHIC(カーグラフィック)の略で、私はもはや1977年から今日まで40年間読者である。

そこのCGの創刊55周年特別企画で「違いがあるから面白い」というコラムを書いている。

その中で、彼らしいDesgin 論を纏めてみる。

ただし、これらは工業デザインを生業としているので、歯科医療の中のキャストパーシャルに即応用はできないが、オーバーラップする部分もあり、とても示唆に富んでいるので紹介したい。

1.デザインには民主主義はなく、ほぼ独裁と言える。

2.デザインは一人の人間が生み出すものである。

3.日本人は自分たちが知らないことを吸収する力が有り、学ぼうとする意欲がとても強い。

4.欧州の人間は侵略が横行していた歴史で、外から入ってくることに対しては警戒心を抱く。

5.デザインについては言えば確かに最初はコピーからスタートした。でも大切なことは、やがて自分のものにした、ということです。

6.他と違いがあるから面白い。

7.世界に違いがあることが“豊かさ”ととらえる価値観で、違いがあることが、世界の存在に意味を与える。

以上が主要な要点に感じる。

上記の事を、いざキャストパーシャルデンチャーに転用したとすると多少無理があるが、多くの示唆をカリスマデザイナーは述べている。

工業デザインと歯科医療としてのデザインにはどのような違いがあるのかは、後日論じよう!! 巨匠Giugiaro様 有難うございます。

第15回 キャストパーシャルの真実

藤井未来先生の講演を聞いて

 

去る2月26日(日)金井孝行会長率いる(公益社団法人)群馬県歯科技工士会主催の生涯研修自由研修過程で、藤井未来先生が講演されました。

 

(テーマ)「女性が歯科技工士を続けるために

~女性技工士と共に働くみなさんへ」

 

講演の感想を述べるよりも、私がメモした内容を書き示す方が正確で良いと思います、ですので箇条書きに進めます。

 

勤務先の(有)タマデンタルサービスの社長の言葉

「女を雇うんじゃなくて歯科技工士を雇うんだから」

確かに同感する自分がいました。

 

就職するにあたっての藤井さんの求めた 三原則

1.福利厚生が完備していること

2.最初から最後まで自分で技工が行えること

3.男女別のトイレであること

自分のLaboと比較してクリアーしてるか?これは重要で働く要素と思います。

 

夜のバイトで働いてるところのママの口癖

「安い店には安い客しか来ない」 なんか納得しますね。この言葉は講演中に何回か出てきました。

 

「(産休)とは産前6週間 産後8週間を指す」

 

「水疱瘡やインフルエンザは予防接種していても子供はかかります」

 

「オカン業は24時間営業です」

 

「認可保育園」 こちらは公的

「認証保育園」 こちらは私立、企業運営体

 

彼女のお父様の言葉「その職業を選んだ時点で、その職業に向いているんだね」

69年生きた私の疑問が、このお言葉で払拭できました(笑)。

 

健康保険(社会保険) 厚生年金 雇用保険 は労使折半で負担

労災保険 は全額会社負担

 

藤井さんが職場を選ぶにあたっての条件

保育園の時間内で働かせてもらう

近所にある仕事場であること

車通勤が可能であること

――――夜中でも出勤可能であること

土日は休み

自費の仕事を希望する

 

藤井さんが通うネイリストの言葉

「人は嘘をつくけど行動は嘘をつかない」

 

藤井さんの言葉 「人間はできない理由を探すが、出来る理由を探す方が良い」

 

藤井さんのCAD-CAMについての姿勢

「機械が出来なくて、自分でできることは何?」

―――――だから、人間力を磨く

自分にかせた役割 1.高い技術力を身に着ける

2.歯科医師に対して良い提案が出来る

3.機械では判断できない生体の情報を加味した技工物

4.患者さんとのコミュニケーションが出来ること

 

クロージングの言葉

「何事も相手とガチで関われよ!!」

「愛情をもって誠実に人としてなせる技を邁進します」

 

以上がメモした内容です。もしかしたら演者から見て間違った記入があるかもしれませんが、その点は前もってお詫びいたします。

主婦でありながらの働く歯科技工士の24時間営業を垣間見せていただき誠にありがとうございました。改めて御礼申し上げます。

第14回「キャストパーシャルの真実」

クインテッセンス出版の月刊歯科雑誌は、今後変わるのか?
-Quintアドクロ所感-

 

クインテッセンス出版より、Quintアドクロが出されました。

PSD有村俊介広報理事による「オーラルフレイル予防・改善への取り組み」に関する文章が大きく掲載されていましたので興味深く拝見いたしました。

冒頭の北峯康充新社長様の挨拶文を拝見すると、これからは技術一辺倒から脱却した紙面展開が希望のようです。

歯科が医科と比較してチーム医療がなっていない現状を変えなければならない機運は歓迎ですが、ことさらに歯科技工士と歯科衛生士を制限の多い狭い世界に閉じ込めている状況を国民がはっきり知るところとなれば、まずそれを改革するべきだと皆感じるはずです。

ましてや歯科医師が介護の現場で医科と連携することが制度的にもできていない現状では、全身から見たオーラルフレイル予防改善には程遠い様子です。

私の理解では、相変わらず不良補綴物の蔓延で、歯科補綴が高齢者の健康に寄与しない状況が続いています。まだまだ技術の向上は必須です。

何よりも、不良補綴物を供給し続けるシステムを断たねばならないが、歯科界はそれを不問に付しています。

医科と歯科の連携を模索し融合するような紙面展開が、今後のクインテッセンス出版社のメイン3雑誌「ザ・クインテッセンス」「QDT」「歯科衛生士」で切り込めれば、それは改革の足掛かりとなるでありましょう。

 

 

(引用文献)Quint アドクロ

(注)北峯康充社長によれば、オーラルフレイルとは医師である飯島勝矢先生(東京大学高齢社会総合研究機構教授)らが、メタボのように国民に浸透してほしいという願いを込めて命名された言葉である。(フレイル=frailty:もろさ、弱点、欠点、過失 という言葉から。)

有村俊介氏は文中で要介護状態に至るまでに歯・口の機能の虚弱が関与するものを「オーラルフレイル」と呼ぶ。

第13回 キャストパーシャルの真実

模型事件 パート3 Denture Designを学ぶには

 

欠損臨床模型は数個しか入手できなかったが、それはそれで貴重品でした。

ただし、東京歯科技工専門学校でゴム枠に石膏流していた助手の先生には、大変迷惑をかけたと心苦しかった。

そこで、学生に、今回の件で申し訳ないことをお願いして失礼しましたと、メモを託した。

そのことでのお詫びで彼女とお付き合いし、ちょっとした今回の障害がきっかけで生涯の伴侶になるとは思いもよらない嬉しい展開だった。

周りの方々は、まさかの出来事でなおみ先生は私に騙されたんだとの噂がまかり通ってました。

私は26歳で彼女は23歳の出来事です。

この年の12月に日本歯研工業を後にして、私は池袋にありますデントサービスといタイコニウムLaboに勤めることになりました。

東邦歯科技工学校専攻科 専任講師 志村宣夫先生の紹介で入ることが出来ましたが、先輩に東邦出身の安藤様が居られたので、すぐに馴染めました。

入社の動機は、こじんまりしているのと社長さんが金属床専門で当時有名でありました三金工業の技術部長されてた方とお聞きしてましたので、志村先生の学べるが移籍のポイントでした。

第12回 キャストパーシャルの真実

模型事件パート2  Denture Desginを学ぶには

 

I課長のお陰で、硬石膏を会社から持ち出した嫌疑は晴れたが、校長先生にどうして模型製作が解った(バレた)のかは後にして、この場では語りませんが、各種のゴム枠で作られた石膏模型を何に使うんだとの質問は?

次のようなことです。

患者さんの欠損状態は様々です。少数欠損から多数歯欠損まで幅広く、おまけにセオリー通りのマウスプレパレーションがされていないケースなど臨床はある意味複雑です。

患者さんの数に応じた原型が、その人数分あるとすれば、それは臨床の醍醐味かもしれません。多くの臨床模型に触れるトレーニングは、基本設計能力を磨くチャンスでした。

校長先生 私は設計の勉強をしたかったのです、それ以上のものは御座いません、と答えました。大塚校長先生も許してくれる表情に変わりました。

きっとこんな経験は初めての事だったのでしょう。

結局それで、話は途切れて私たちは会社に戻りましたが、少なくとも私は良し悪しは別としても注目というか目立つ存在で、あまり好ましくないタイプに思われてる空気に触れました。

そもそも私は川越から池袋で五反田で、さらに乗り換えて東急目蒲線で不動前の日本歯研に行き、午後の15時頃に新宿経由で京王線の百草園にある東邦歯科技工学校の夜間部に通い川越まで戻るのは23時を過ぎてました、体力的にへとへとでした。

毎回ではありませんが遅刻は15分ほどしてたので、勤務態度の評価はこの点だけでも落第でした。

いくらクルップ社のクルタニウム(チタンCo-Cr合金)床の研磨が早くてノルマをこなしていていても、遅刻は問題でしょう。

ですから、そのことがあった以後は自分が模型事件で悪くなくとも、そろそろとの潮時感はありました。

第11回 キャストパーシャルの真実

模型事件 パート1 Denture Desgin を学ぶには

 

東京ドラリアムに入社したのが、24歳 日本歯研工業に入社したのが25歳

東邦歯科技工学校 夜間部に入学したのが25歳です。

大塚昌助先生の経営する日本歯研工業を辞めることになったのは、例の課長の起こした私的金属床持ち込み事件で端に発したことから、特別の配慮での設計室に行けることになったことで、社内の先輩方の冷たい空気を感じたからだと思います。

同時に模型事件が起きました。

それは、日本歯研が経営しております、隣接の東京歯科技工学校(以後 東歯技と呼ぶ)とのかかわりで生じました。

基本設計を学びたかった私は、様々な臨床ケースの石膏模型が隣の学校にあると承知しておりました。

Removable Partial DentureDesginは多くの臨床ケースになじんでいなければ対応できません。そこで、在校生で日本歯研に研磨のバイトで来ていました沖縄出身の同僚G君に(松風ヒドロギブス)の3㌔缶を渡して模型製作を依頼しました。

快諾して、担任の助手のN.W先生に各種模型製作を頼んだのです。

暫くして、黄色い石膏模型が届き始めましたが、鋳造課のI課長から大塚校長(日本歯研の社長の弟で歯科医師)が川島君を学校に連れてきてくれないかと言われたので、行くからねと話してきました。T次長も同席するからと言われた時は何かが起きたな!!と直感しました。

翌日の放課後で確か土曜日だったと思いますが、私の課長と次長の3人で行きました。

校長先生の隣に先生らしき女性が待ってまして、白衣の下がミニスカートのようにも見えました。なぜか校長先生は何してくれてるんだ“君”は、という感じを今も覚えております。

君が石膏模型を頼んだそうだが、何に使うのか?と切り出され挙句には、その硬石膏は日本歯研の石膏か?と問われ、尋問のような感じで気まずい空気が漂い始めました。

I課長は、石膏については川島君が出入りの歯科材料店支払ってましたと、事務的に返答しておりましたが、はなから会社の石膏の持ち出しと決めていた校長先生は思わぬ展開で、多少なりとも動揺してた感じは否めませんでした。

大塚校長先生は恰幅良く温厚な先生であるとの印象は変わりませんでしたが、寡黙に展開を聞いてた私は、何処で真意を切り出すか、めぐらしてました、、、

第10回 「キャストパーシャルの真実」の意義について

2016年もそろそろ終わる師走時となりますが、読者の皆様お元気ですか!!

「キャストパーシャルの真実」は私の構想にあります、ドキュメンタリー小説「歯科技工士物語」として書き上げる序章です。

ですから、ここにはキャストパーシャルというDenture 要するにT.K.M

(Tetsu Kawashima Method)の入れ歯の製作にかかわることも御座いますが、患者自身が幸せになる歯科技工技術の誕生秘話がメインであります。

そして、私自身の生きてきました様々な職責が、人間味あふれる形で登場致します。

私自身が44年間にわたり開発いたしました、メジャーコネクター(大連結子)とりわけ上顎TK DESIGN法や補綴構造設計(数値化・デジタル化)そして“らくらく製作法”にまつわる“超”適合追求及び歯科技工改良術式なる各技工工程の開発意義含めて表現いたします。

そこには、時として“目にしたくない”人間模様“や歯科医療人として、はばかるような類も登場するはずです。

あくまでもドキュメンタリーですので、そこは避けては通れない道で御座います。

本名は明かせませんが、想像できる範囲には迫っていきたいと思います。

題名通り「キャストパーシャルの真実」ですから、歯科技工士としての

プロフェッショナルとしての自負を担いながら、今後の展開をご期待ください。

第9回

昨年来「キャストパーシャルの真実」の連載が止まっていましたことを、興味のある歯科界の方々に、まずはお詫び申し上げます。

私が会長を務めます、(PSD)日本補綴構造設計士協会が一般社団法人に8月をもって、単なるスタディーグループから公益活動を義務とする団体に移行しました。

また、8月29・30日にKFCホールにてPSD協会20周年記念学術大会を成功させました。

それらの事で、時間を割いた点は正直否めません。

今後は淡々とアップいたしますし、多くの皆様が「キャストパーシャルの真実」という歴史認識を示しておくことは、とても良い事だとの声があることは嬉しい事です。

川島さんしかこのテーマでは書けないとの声は、私の背中を押してくれます。

この点は私がそれだけ年を取ったと言う事と思います。

日本歯研工業株式会社の鋳造床課に勤務し、同時に東邦歯科医療専門学校 歯科技工科に入学したわけですが、学生の分際でありながらアルバイトではなく準社員の扱いでの入社でした。

そもそも日本歯研への入社は、私の兄がもはや社員でありポーセレン課に在籍しておりそんな彼のアドバイスも有り、東京ドラリアムよりは集塵装置の環境が整備されてることが魅力であった。

設置されていた工業用のアマノの集塵機は巨大であり、確かに日本歯研の場合は作業環境はすこぶる良かった。

大塚昌助先生兼社長様には厚遇してもらい、今でも感謝している。

さて、前章で書いた事件とは次のような展開であった。

いつもの様にクルップ社のクルタニウムTiコバルト合金を研磨していいると、受注した症例をトレーにそれぞれ区分けしているが、生産工程表にナンバリングされてる番号が普段は連番なのに同じ番号を偶然発見したのである。

当時噂でしかなかったが、社内である人物が私的に自分の関係の金属床予定の臨床模型を会社に持ち込み、出来あがったら持ち去るという事を聞いたことがある。

連番を発見したのは、たまたま私だったが、この2つのトレーのどちらかが、その横領的な金属床と直感した。

そこで5円玉を取り出し宙に舞わせて、表だったら左のトレー、裏面だったら右とかけた!! なんと裏面とでたので、その金属床フレーム(ご縁のある)をゴミ箱に捨てやったのだ。

その日は何事も無かったが翌日ある上役が鋳造床課の各部屋を行き来してるではありませんか、そして暫くしてから囁くように私に、か か 川島君!!フレームが一ケース仕上がってないんだけど知らない?と聞いてきた。

当時クルタニウム床を研磨してるのは私だけなので、捨てた犯人は私だと多少は気が付いて聞いてきたのだから勇気を褒めよう。きっと何らかの事故だと思いたかったと思う。

今まで横領が上手く行ってたんだから、、、、OO上司に降りかかった青天の霹靂とは、こういう時に使うのかもしれない。

私はそ そ そうなんですか?そして大声で大々的に探しましょうと答えた。

上司はい い い いいからと、か細い声で言うと部屋に帰ってしまった。

その後、私は普段どおり研磨していたが、そろそろ技工学校の夜間部に行かなければならず席を立とうとしたら、向こうの部屋で寒天印象をしている姿を目撃した。

翌日は鋳造までご自分でされてたので、間違いなくあの金属床フレームがあの上司の私的な持込みケースと私だけに理解できた。

其の事件があった日から10日ほどのこと、その上司から川島君、君は設計を学びたいだろう、、、良かったらワックスアップも教えるから明日から私の部屋に来ないかなと、ささやかれた。

なんと、一生研磨で終わる人生が一変して設計やワックスアップまで学べるとは信じられない事が起きたのである。

翌日から自分の研磨が早めに終わると、設計室に出向き臨床ケースでサベヤーをいじっていたのである。

ワックスアップ室の連中が、なんで川島が!!あの部屋に出入りしてるのか、驚きの眼差しがとても面白かった。

そもそも研磨室の人達とワックスアップ室の人達とは仲が悪かった。何故ならば余分なワックスてんこ盛りの場合は研磨と言うよりも削り出すCAD-CAMのようで時間ばかりかかって困っていたからである。

数値化せずとも、せめて既成パターンの張り合わせの組み立て位はしなさいと思ったのは、この頃でもある。 つづく

第8回

キャストパーシャルの真実の第8回目は、続編の合間に、ちょっと立ち止まるエッセイにしました。

暫くして、キャストパーシャルの真実は連載続行しますので楽しみにされて下さい。

 

美ら海水族館を訪ねて

  気が付いた歯科との共通項

 

日本中を駆け巡りこの年になって、初めて息子の誘いで沖縄を訪れた。

戦後間もなく生まれた私には、戦禍の記憶はないが、先の大戦には様々な思いが有る。

実際に沖縄を訪ねると本州とは違う空気感がある。

それは、東京から遠いせいもあるが、熊本や鳥取で感じたこととは全く違う風を感じた。

琉球王国時代に思いをはせながら、まずは“美ら海水族館”に向かう。

ジンベイザメの巨大な姿に圧倒されながら、その大量の水を感じ、自らの歯科医療人としての姿と被せながら見ると、ある共通項がそこにあった。

沖縄で感じた海や水族館の透き通る水たちはどことなく神秘的で美しかった。

しかし、ジンベイザメは水槽と言う人工的囲いの中での生活となれば、歯科と言う囲いの中で生きてる私達と同じく、それはもしかしたら不自由かもしれない。

ジンベイザメは幸せそうに見えた。

しかし本来の荒海や東シナ海で泳いだら厳しい環境になるが、さらに悠然とした生き方が出来たのではと想像すると何故か海に開放(解放)してあげたくなった。

私達歯科医療人も囲いを取れば患者さんを幸せにする、これ以上の大きなチームが出来るかもしれない。

大海を泳ぎたい気持ちでとても共通項がある気がして、美ら海のジンベイザメ君が何故か友人に感じた。

第7回

前回までに東京ドラリアムに入社した年を1974年(昭和49年)と表記したが、これは1972年(昭和47年)当時24歳が正しい。)

 

日本歯研工業の鋳造床課に在籍したのは1973年4月(昭和48年)25歳の時である。

夜間部の東邦歯科医療専門学校 歯科技工科に通いながらの勤務は寝不足でホンマ辛かった。

通勤通学の時間だけでも一日に延べ5時間かかるわけで、しんどい歯科技工ライフであったと思う。

若さと言えばそれまでだが、大した食事も摂れず栄養状態は最悪で、食卓でゆっくり頂くなんて夢また夢の状態。東邦技専の売店のホットドッグは良く食べたが、決してホットではなくいつも冷たかったし、ケチャップの多さで最後まで美味しいとは感じなかった。

 

午後の3時までの日本歯研でのクルタニウム(Co-Cr-Til合金)部の私の業務は、朝に鋳造を行うのだが、アセチレン熔解で遠心鋳造機はクルタマットを用いた。バーナー(BEGO社)の超重い事この上ない、まるで機関銃を持たされてる感じである。

そもそもアセチレンガスはボンベに引火しないために1分以内で熔解しないとドイツのバーナーは自動的に消されてしまいます。安全装置は厄介なものだが板チョコのようなインゴット30gを時間内に熔解するのはかなりコツがいる作業である。

実は“ナメラレル”ことが良くあって、ユニーク製のリングフアーネスを1000℃と決められていたが、内緒で100℃アップして鋳込み不足を解消しようとすると、課長に何度も下げられてしまう事が辛かった。ファーネスの消耗が気になってるとは解っていても止められなかった。課長は私に注意はしないが、気が付いてたら下げられていた。クルップ社のクルタベスト(リン酸塩系埋没)は高温でも耐えられる埋没材であったのが救いでした。

その後割出しサンドブラスターを用いて酸化膜を除去し、1日7床をノルマとした。

このクルタニウムの研磨は私1人しかおらず責任感は持てたが、研磨時間が2時間から3時間しか取れず限られた枠での7床完成は世界チャンピオンものと思う。

実は、東京ドラリアムで鍛えた高速レーズテクニックが吠えまくった。

日本歯研では皆さんハンドピースのみで研磨するが、私だけデムコ社製の高速レースを買ってもらい一人目立つ存在だった。

鋳造床の研磨ばかりで所属はクルタニウム(Co-Cr-Ti合金 独クルップ製)床でのWax-Upも設計も夢また夢の状況で、一人前の技術者になりたいモティベーションはあっても精神的には凹む毎日であった。

そもそも、Wax-Upしている先輩方は5年も10年も一生Wax-Upという話を聞いたら平静ではいられなかった。女工哀史や蟹工船や農民哀史を思い浮かべたのも自然に感じた。現代の歯科技工哀史とは言い過ぎだろうが私には似た様にしか感じられなかった。

だが、けっして日本歯研が悪いとは思わない、何故ならば大手LABOの効率化を考えたら分業化はごく自然な事であったと思う。一日にCo-Cr床含めれば30床以上は生産するわけだからしょうがないなーと思うようにきっとなるはず。

ただし私は、研磨部から脱出しWax-up含めて設計も全て出来るようになることを心の底では思い描いていたが、けっして社内でこの考えを話すことは封じていた。

驚いたことに私はある時期からいきなり設計部に出入りできるようになった!!

そこで夜間部でも起きた事件、会社でも起きた事件を、、、、。